top of page

   

恐れ、それは心の中にある二つの要素でしかありません。その二つというのは知覚と決定です。マインドは自分の今ある状況を観察し(知覚)、それについてあれやこれやと意味づけをしていきます(決定)あなたのマインドが望むような状況ではない場合には、そのような状況を自分から避けてしまうという決定を下します。恐れの種がこの時に蒔かれます。この決定が潜在意識に深く根付き、この時以降何度も起こりくる新しい、あるいは以前とは違う種類の動揺が現れた時にさえも繰り返し何度も何度も反復されるのです。

 

マインドはあなたがこの地球に生を受けて以来ずっと自分自身を監視し、あなたを保護する救世主なのだと思っています。マインドの役割は、危険と察知した全てのものからあなたの身を守ることなのだと。目の前に迫りくるかもしれないあらゆる恐れのひとつひとつに対して、善悪の判断をいつも忙しく下しています。幼少時代、子供時代を通して続いたマインドのこの役目は大人になっても同様に続くので、そこにくいちがいが起こってきます。私たちのほとんどはマインドに導かれて暮らしているので、いちばん最初に下した決定の追体験に従ってしまうからです。

 

子供のころに体験したのと同類の心が動揺するような出来事に遭遇する度に、心は私たちに起こる反応を以前と同様のかたちにあてはめようとすします。そして生涯をとおして子供時代と同じ反応をして生きていきます。ただし、子供時代に植え付けられた善悪の判断や型にはまった決定を解消してしまえば、それは違ってきます。

 

私たちの言動はそれらの、すでに存在する未熟な判断基準によって促されています。 NLP (神経言語プログラミング)はそのようなパターンを処理するための優れた手法があり、私自身はもちろん、他の人々に対しても非常に効果的なツールとして使ってきました。ひとつひとつの問題に的をしぼり、そして解放してくことができるのです。

 

しかしそのひとつひとつには、脱落させてしまうような、またあっという間にさらわれてしまう落とし穴もあるのです。このような誤った反応を手放すのに最も早く、しかも容易な方法は何かというと、それは“恐れを抱いているのは、誰なのか”を見つけ出すことです。

 

意識、気づき、あなた、それらの全てはすでに、その状況がいったいほんとうはどういうことかをじつは理解しているのでしょうか、それともあたかもそれがあなた自身だと思わせ、個人的な世界観を主張するようあなたに強要しているエゴまたはマインドでしょうか?恐れを抱いているのは誰かを見出せば、子供じみて恐れに満ちた良し悪しというようなひそひそ話をすっかり無視してしまうことができるのです。

 

あなたの知性は“もちろん恐れているのはエゴです、そんなことは分っていますよ”、と言うかも知れない。だってそれは本当の自分ではないですからね、と。しかし考えてみてください。本当の自分を知ることや、自分が誰なのかということを(疑う余地なく)まだ直接体験していないとしたら、あなたはさまざまなエゴのメッセージや感情に簡単にそそのかされてしまう可能性があります。

 

このようなジレンマから脱却するための最も早い道は、意識の覚醒に他なりません。“ラジカル アウェイクニング” 1日講座では、ほとんどの参加者がエゴのコントロールから解放され、自由になることができます、永久に。そうです、つまりあなたが覚醒するか否かのどちらかひとつだけですから、いったん目覚めさえすればエゴのゲームはもう終しまい、ということです。蜘蛛は自ら張った糸を維持しようと努めますが、それの糸は自分が勝ち得たというようなものではないのです。アドヴァイタの教え(サットサンに参加すること)の場でパパジがよく言っていた表現があります。

「あなたの頭はもう既にトラの口の中にある」

 

 

恐れているのは誰ですか?

bottom of page